母が永眠した。
肺ガンと診断されたのは4年ほど前だった。放射線と抗がん剤の集中治療でほぼ消えたが脳へ転移。この脳の橋という部分の癌もサイバーナイフという放射線治療できれいに無くす事ができた。しかしその後手術不可能な肝臓への転移が見つかった。
母親は抗がん治療の副作用がほとんど無く、ガンの症状もあまり出なかった。末期は確実に悪化していたし、トルソー症候群とかいろいろあったんだけど、つらい自覚症状があまり無かった。食いしん坊で食欲もあり、ふつうに暮らせていた。
最後は急だったが終わり近くまで元気でいられたので突然のように思えるのだろう。いつか来る事なのはわかっていたけどそれまでどれだけ苦しむのか、と母親は不安だったようだ。先生どうやったらポックリ死ねるんですか、と医者に聞いて困らせてた。疼痛や末期症状で苦しむことが無い終わり方だったのは感謝すべき事なのだと思う。
幸い母が亡くなる前に日本に行って一ヶ月半同じ屋根の下で過ごす事ができた。
自分は16歳の時から母親と違う国で離れて住んでいて、以来ずっと数年に一回会うかどうかだった。連絡も父親とは定期的に電話やビデオ通話していたがその際たまに母親が出てくるぐらい。母親とのやりとりは父経由が多かった。母親は最初の頃こそ自分を気にかけていたが、年月が経つにつれいつの間にか自分は居ないのが当たり前になっていた。
なのでお互いこんなに長く一緒に過ごしたのはそれこそ何十年ぶりだった。
自分が大人になっていった過程を知らない母親は、自分がどういう大人になったのかも良く知らなかったようだ。一緒に過ごしている間、いろんな事を身につけてすっかり変わったんだね、と何回も感心された。
いやいや何十年もかけて変わってなかったらただのやばい人ですけど。でも言われて悪い気はしなかった。そうやって最後にまたお互いを知る事ができたのは良かった。
なんだか不思議な親子だったけど、ありがとな。おふくろさん。
ところで先に発つだろうとみんなに思われていた父親はまだ病院で頑張っている。小型のMP3プレーヤーに父の好きなオペラやクラシックを数百時間分つめこんで病院に託してきたが毎日ヘッドホンで聞かせてもらってご機嫌だそうだ。