140字の制限があるツィッターを日本語・英語両方で使っている。 ずっと三十数年英語メインの生活を過ごしてきたが、日本語も使い続けたい、だからアカウントを二つ持ち、ひとつは英語アカウント、もうひとつは日本語アカウントと分けている。 日本語アカウントでは日本語だけを使うようにしている。
そういうことを数年やってきて痛感するのが日本語文章の効率の良さだ。文字密度が高い。伝達できる濃さが英語と数倍違う。
そして日本語は文字数の少ない曖昧な表現でも細やかなニュアンスが伝えられる。伝達効率が二重にいいのだ。 この効率の良さは日本語と英語を並行して使うとほんとうに身にしみてよく分かる。
英語は文字数が多い。ちょっとむずかしい単語は簡単に10文字を超える。これが漢字だと1文字。熟語でも3、4文字だ。 だから英語ツィートにいろいろな内容はこめられない。
必然と英語ツィートは俳句みたいに抽象的な事しか言えなくなる。 だから英語圏では漢字圏ほどツィッター上で踏み込んだコミュニケーションができない。
これは言語としてどちらが上か、という話ではない。英語には日本語と違う奥の深い表現力があるし、細やかな表現もできる。だがいかんせん文字数が多い。140文字で、と制限をつけるとえらい差がつく。
ところが、日本語にも弱点がある。 カタカナを使う外来語だ。カタカナは発音表記だから伝達効率がガタ落ちする。特に文字数が多い外来語を使いだすと英語の1.5倍ぐらいまで密度が落ちる。さらにカタカナ語は意味がはっきりとしない場合も多い。
かと言って漢字だらけの文章はとても読みにくい。 文才がある人達はその辺も上手にバランスよく表現に取り入れている。 そんな文章を読むと日本語って優れた言語だなと思う。