久しぶりにニコンFを出して使ってみた。 露出計がちょっとアンダーなだけでスムースに動く。 Fと言ってもフォトミックFTNだけど、デザインはすごく気に入っている。
週末から家の中を少しずつだけど片付け中。 ワタシの書斎として使っているベッドルームは足の踏み場も無い状態だったのだけど、片付けてまともになってきた。 最近試しているのが、整理しなければならないモノをとりあえず一つにまとめる事。 忙しいと、いろんなものが「これはどうしよう」と一つ一つ処分保留のままでその辺に放置されてしまう。 これをとりあえず「要処分」の箱に入れてしまうのだ。 客観的に見れば「要処分」は捨てるのがもったいない、とか、また同じもの買うんじゃないの? とか感情的な引っ掛かりがあるものばかり。 こういうのはほうっておくと引っ掛かりが消えてただのゴミになってくれる。 でもそれまでその辺に置いておくので片付かないのだ。 だからそういうのはまとめて箱に入れて放っておく。 で、しばらくすると「これ、ゴミだな」となってくれる。 ワタシみたいにモノを溜め込んでしまうのを英語で「Pack Rat」と言うが、この性格は多分に母親から受け継いでると思う。 横浜の実家の物置なんか母親のモノでぎゅうぎゅうにいっぱいだった。 もっとも、父親が「立つ鳥後を濁さずだ!」と言い出してどんどん捨ててしまったので大分減ったようだ。 母親はピンピンしてるのでモノを処分する理由としてはどうかと思うけど、まぁそれぐらいの覚悟でないと前世紀からためたモノの整理はできないという事だと思う。 でもその母親をはじめ、我が家はワタシが社会人になるまで数回違う国に引越しをし、そのたびにいろんなモノを捨て続けて来た。 7歳の時、オーストラリアに引越しする数日前に昨日まで乗り回してた愛チャリが粗大ごみの山の中につっこまれてるのを見つけて子供ながらに複雑な気分だったのを覚えている。 それ以来数年住んでようやく自分の生活が築かれた頃に引越ししてしまう事をくりかえしてた訳だが、そういうときは要らないモノを捨てなければならない。 それは自分の生活を捨ててしまうようでなんとなく哀しいものだ。そういう風に育ってきたワタシはこの歳になっても無意識に自分の周りに自分のモノを増やそうとするのかもしれない。 と言うのは、まぁ、モノを増やしてしまう言い訳なんだろうだけど。 でも気が付けばサンディエゴに住んで25年だ。 一生の半分以上をここで過ごしてきたわけで、今度は逆にモノが多くなりすぎてしまった。要処分のモノ達を見ながらシンプルな生活も良いんじゃないかな。 と最近ようやく思うようになってきた。One thought on “片付け”
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サンディエゴ、やっぱり日本と空気感が違いますね。
アメリカ経済の行方が日本でももちきりですが、どうですか?世界のトヨタがあの状態ですからね。日本の企業でも首切り話ばかりです。
ところで、普段はデジカメばかりですが、買いたいものはやはりマニュアルカメラ。昨年来から手に入れたニコンFやF2フォトミックを出しては磨いています(笑)。